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ギリシャでの葡萄栽培は、はるかな昔、数千年前に始まりました。古代ギリシャ人がディオニソスまたはバッカスと呼ばれる神を持っていて、その姿においてワインやぶどう、そして葡萄園の豊穣があがめられたという事実から、当時すでに葡萄栽培がギリシャの無数の地域におけるならわしとなっていたと言えます。その当の神が、自らへの崇拝の表現として、ぶどうとその栽培を広めたと言われています。
アイトリアで彼はイネアス王に葡萄園を与え、客としてその王宮に滞在している間、ワインの秘密に迫る助言を授けました。ディオニソスは儀式を作り、その中で忠実な信者たちに自分をいかにして崇めたらいいかをはっきりさせました。葡萄栽培の各段階を儀式的な側面と結びつけることで、ディオニソス崇拝を確立させたのです。言い換えれば、これは歓楽、陽気、飲酒と楽しみの神を讃える宗教的表現でした。葡萄の収穫の開始時や、収穫直後に新しい一番ワインが出来てきたとき、祝祭をし、ワインを飲み、あけっぴろげにダンスをすることで、人々は日々のつらい単調な仕事から解放されました。神自身が蔦の葉や葡萄の葉の冠をかぶり、とりまきたちとともにこれらの歓楽の中心的役割を担いました。とりまきには、森のニンフス、シレノス、サティロス、それからメナデス(バッカイ)などがいました。シレノスは馬のひづめと尾を持った男たちで、ニンフたちを待ち伏せ、洞窟においつめて襲ったのです。サティロスはシレノスに似た、神通力のある自然の生き物であり、マイナデスは浮かれ騒ぐ自然のスピリットの姿をしている女性たちです。このそろって陽気なとりまき連中は、ダンスや歌に興じたくてしかたがなく、また当然、ふんだんにあふれ出るワインが欲しくてしかたがないのです。
これらの儀式においては、ディオニソスへの宗教歌であるディテュラムボスが聞かれました。これらが古代の(悲)劇、そしてそれに続く舞台劇のルーツなのです。しかしディオニソスとは関係なく、オリンポスの12神もまた、やってきてワインを楽しむのにやぶさかではありませんでした。つまるところ彼らの有名な「ネクタル」はワイン以外なく、永遠の青春の女神へーベーが給仕をした目的は、このネクタルを神々のために注ぐ以外にありませんでした。ホメロスが書いているように、ヘーベーはゼウスの酌人ガニュメーデスの姿を借りて、神なる杯を「ふちまで」つまり、あふれ出るまで満たそうとしていたのです。
時をはるばると遡ったころのワインの楽しみについて、ホメロスからさらなる証拠を得ることができます。オデッセイでは、トロイ征服に向かったオデュッセウスがその最初の障害であったシコネス族の土地であるイズマロスを略奪したとき、アポロの神官であるマロナスから立派な贈り物をもらったといいます。マロナスが彼に敬意を表したもので、12樽の甘い酔い心地のいいワインでした。これが、後に彼がキュークロープスのポリュペーモスに捧げたワインで、ポリュペーモスは葡萄園のことなど何も知らないにも関わらず、大喜びでそれを受け取りました。続いて、陰謀を巡らす女神キルケーが、オデュッセウスの仲間を誘惑しようと、彼らにたっぷりワインを与え、それによって魔法の薬をそっと飲ませる機会をとらえました。
しかし葡萄果汁を供することだけがこれほど歓迎されたわけではありません。手入れの行き届いた葡萄園は、支配者の特権でした。オデュッセウスが故郷のイタケーに戻って年老いた父と対面したとき、自分が誰なのかを父に分からせようとして、彼は昔のできごと、とりわけ、彼が子供だったときに起こったことを持ち出しました。
「50列の葡萄の木もきっと次々に実を結ぶことが約束されていた。様々な色合いのふさが垂れ下がり、夏の日の神によって重みを増して枝をしならせていた……」
文学作品の中には、実際、数え切れぬほど、ワインや葡萄園についての記述があります。しかも、あらゆる点において明らかになってきているのは、ギリシャの土地では他のどこよりも、ワインが歌や神話、劇、精神や哲学へとその姿を変えてきたということなのです。
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