G.カレラス マヴロダフニ オブ パトラス 1944年 (赤/甘口)

※実際の商品とラベルやヴィンテージ(ワインの場合)などが異なる場合がございます。
ギリシャワイン格付け
♦P.D.O./O.P.A.P.(オパプ)
原産地呼称ワイン(V.Q.P.R.D.)
♦O.P.E.(オぺ)
原産地呼称ワイン(V.Q.P.R.D.)甘口ワイン
♦P.G.I./P.G.E.(ピージーイー)
地理的表示保護ワイン
♦トピコス・イノス
ヴァン・ド・ペイ(地ワイン)
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商品詳細
1944年9月、その年のブドウの収穫は良かったけれども、ギリシャはいまだドイツ軍の占領下にありました。
ペロポネソス半島の北西端にあり、ギリシャで最も有名なワイン生産地のひとつであるパトラス市では、ジョージ・カレラスが部分的に天日乾燥させたぶどうから18トンもの最高品質ワインを製造したばかりで、セラーは熟成中のワインの樽でいっぱいでした。
それからまもなく、ドイツ軍はギリシャから撤退し始めましたが、その途中で略奪をしました。ジョージ・カレラスはワインを盗られることを恐れ、セラーのドアをレンガでふさぎ、その前に安いワインの入った樽を並べました。
ドイツ軍の撤退の後には内戦が起こり、1949年まで続きました。戦いが終わったとき、人々は生き残り、生活を立て直すことに忙しく、誰も隠されたマブロダフニを思い出しませんでした。
1952年にジョージ・カレラスが亡くなり、その息子のエレフテリオスが会社の指揮権を継承しました。その後の数年間で、彼は会社をより大きく有名にし、大量生産ワインの販売から、極上品質のワインの製造とボトリングまで行うようになりました。
90年代には、エレフテリオスは息子のジョージとニコスにバトンを渡し、新しいワイナリーの建設が決定されました。忘れ去られていたマブロダフニが見つかったのはそのときです!
それは当時のままの状態でした。
1999年に、彼らは、新しいミレニウム(千年紀)の到来を祝うため、1,000本のボトルに詰めることを決めました。それぞれの年に1本です。
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